門司港を拠点に活動しています。

 


MY PROFILE

 

 
 

山口 仁 (Hitoshi Yamaguchi)

1951(昭和26年)熊本県熊本市島崎町に生まれる。(旧姓 高木)
1970(昭和45年)熊本マリスト学園高等学校卒業。
1974(昭和49年)多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業。
1976(昭和51年)多摩美術大学大学院修了。
 
大学では主にCI(コーポレートアイデンティティー)をテーマに、経営戦略としてのデザイン計画を学ぶ。修了後は、大阪にてアパレルメーカーなど約11年間のデザイナー期間を経て、1987年(昭和62年)に門司港へ戻り、妻の実家である株式会社ヤマグチにて、酒類販売業・飲食店経営・企画デザイン業に携わる。2002年(平成14年)代表取締役に就任。
 
*6人兄妹(4男・2女)の次男。
*変則的な几帳面さを持ち、優柔不断。
*いい意味でも、悪い意味でもマイペース。
*制作意欲を高めてくれる門司港の風土が好き。
*写真が好きで、よく門司港の風景も撮影している。
*最近、お酒も少し飲めるようになった。
*健康のため時々ゴルフをするが、100がなかなか切れないレベル。
*血液型B型。射手座。

MESSAGE

 

 
妻の故郷は、だれにとっても自分の故郷と同じぐらい、特別な意味を持っているに違いありません。私の場合、それが「門司港」でした。門司港との出会いが、やがて私の人生を大きく変えることになります。
 
私の故郷は、同じ九州の熊本です。東京の美術大学へ進み、大学院修了後、関西の会社でグラフィックデザインの仕事をしていました。 結婚後、しばらくは大阪暮らし。まとまった休暇がとれると、家族と共によく帰郷したものです。そんな私たちをJR門司港駅のレトロな駅舎や、朝夕、四季折々美しく変化する関門海峡が、いつも温かく迎えてくれました。
 
仕事に追われる都会での生活。その中でいつしか忘れかけていたものを、門司港は思い出させてくれました。そして、この街で癒され、再び都会で暮らすパワーを得て、大阪へと戻って行ったのです。
 
私にとって門司港は、感性を心地よく刺激してくれる、やさしい風景にあふれていました。帰郷を重ねるたびに、門司港という街に次第に愛着を感じるようになりました。単に妻の故郷という以上に、大きな存在になっていったのです。その為、デザイナーとしての仕事にいったん終止符を打ち、門司港で妻の実家の酒類販売業を継ぐことになった時も、ごく自然体で受け止められたような気がします。
 
1987年(昭和62年)、一人娘の小学校入学を機に門司港に戻ってきました。かつては大陸貿易の海の玄関口として栄えた、華やかな歴史を持つ門司港ですが、それも遠い昔の話。妻の実家が店舗を構える栄町銀天街にも、残念ながら以前のような活気はありませんでした。
 
ところが、私たちを待っていたのは、この街に吹き始めた新しい風でした。やがて、それはレトロの風となり、門司港を大きく変身させることになったのです。門司港で暮らすようになり、益々この街が好きになってきた時だっただけに、「商店街を元気にするためには、門司港の街を元気にしなければ」と、まちづくりにも積極的に参加するようになりました。時を同じくして、北九州市の門司港レトロ事業が動き始めたのです。(※門司港レトロのグランドオープンは1995年(平成7年)3月。)
 
現在、門司港は年間200万人以上の観光客が訪れる、北九州市を代表する観光地となりました。まだまだその経済的な波及効果が商店街や門司港全体に浸透していないのも事実ですが、やはり、基本的には地元の人間が頑張らなければ街の活性化はできないと思っています。
 
門司港を愛し、門司港で暮らす住民の一人として、この街が「住み心地の良い、個性的で生き生きとした街」そして、将来を担う若者や子ども達が「誇りを持てる街・住みたい街」にすることが、私達の責任ではないかと考えております。
 
どうぞ、これからの「門司港」、「山口酒店」にご期待ください。